この度、東京画廊+BTAPでは「比田井南谷と森田子龍」を開催いたします。
比田井南谷(1912~1999)と森田子龍(1912~1998)は、ともに伝統書道の枠組みを超え、前衛書の確立に貢献のあったアーティストです。戦後という時代を背景に活躍した両作家は盛んに交流し、共同展を企図する書簡も見つかっています。
比田井南谷は、「現代書道の父」と呼ばれる比田井天来と仮名書家・比田井小琴を父母として、1912年に神奈川県鎌倉に生まれました。書の可能性を模索するうちに、文字性を放棄した《心線第一・電のバリエーション》(1945年、千葉市美術館所蔵)を制作します。この作品は同時代の書家や洋画家に衝撃を与え、書であるか否かという議論を引き起こしました。比田井の作品は海外でも反響を呼びます。1959年11月、ルドルフ・シェーファー図案学校に招聘され初渡米。ニューヨーク等における個展の開催、大学での書道史の講演、芸術家に対する書の指導など、書芸術の海外普及に全力を注ぎました。1964年にはニューヨークでクルト・ゾンダーボルグ(1923-2008)、ピエール・アレシンスキー(1927-)、ワラス・ティン(1929-2010)らと共同制作を行い、大筆を使ったそのパフォーマンスは映像に残されています。
森田子龍は1912年に兵庫県豊岡市に生まれ、比田井天来(1872-1939)門下の上田桑鳩(1899-1968)に指導を仰ぎました。その後、旧態依然たる書壇に疑問を感じ、師を離れた森田は、1952年、井上有一、江口草玄、関谷義道、中村木子とともに「墨人会」を結成します。絵画の部を設けた展覧会を開催するなど、書と美術の積極的交流を促しました。また、書雑誌『墨美』『墨人』の発刊によって、編集者としても頭角を現します。『墨美』創刊号の表紙に、日本ではまだ無名だったフランツ・クライン(1910~1962)の絵を採用し、『墨人』を通じて吉原治良(1905~1972)たちゲンビのメンバーと交流を深めるなど、森田の活動は書と国内外の抽象画家を結び、前衛書を世界に発信する契機となりました。
両者の活動は常に、書とその他の視覚芸術の境界を越えて展開しました。西洋の同時代の表現と積極的な交流を持った点でも類似しています。また、キャンバス、板、ファイバーボードや油彩等を実験的に用いた比田井と、黒い紙の上に銀色の顔料で文字を書き、その上にニスや漆をかける「漆金」を生み出した森田は、素材への探究心も共有しています。一方で、文字性を排除した比田井と、文字から離れなかった森田の間には根本的な相違もあります。両者の作品の共通点と対照性は、二人展として並べられることで際立つものと期待されます。
本展の開催にあたり、両作家のご遺族に多大なるご協力をいただきました。ここに謹んで感謝の意を表します。
